八月、蝉の声が止まない
半年前、友人が死んだ。自死との事だった。
その話を聞いた時、それはもう、人並みに衝撃を受けた。
それと同時に、変に納得もしていた。
元々その気がある性質の人だったからかもしれない。
その報せを聞いてもう数ヶ月になる。
仕事の帰り道、友人と飲んだ日の帰り道、ふとした時に、彼が死んだことについて考えてしまう。
何故だろう。
思い浮かべるその度に、自分で何故この事を思い浮かべるのか分からなかった。
彼とは数年前知り合ったが、関わった期間はごくわずかだった。
自分でもそんなに大事にしたい縁だったとは意外だったかもしれない。
それでも思い浮かぶことが多いのは、なにか言いたかったことがあったのかもしれない。
彼にもう一度会えるとしたら、どんな言葉をかけるだろう。
自死を責めたい?どうして死んでしまったのか。一言相談して欲しかった。
…違うと思う。その時正常な心では無かったとしても、その決断を止める権利は無いだろう。彼の自死に怒っているのか?それも違う。俺に怒る権利は無いし、自殺をした理由も何となくだが少し分かる気がする。
タイミングが良かったのだろう。いや、悪かったのか。たまたまその日、その時の気持と場所となにか諸々が重なった結果なだけで、多分誰にでもそうする可能性はあるんだろうな。
書きながらなんとなく分かってきた。
俺は、きっと感謝の言葉を言いたかったのだと思う。
地元に戻って会えなかった2年、仕事で結構しんどいことがあっても、彼もまだ遠くで頑張ってることを思えば、何故か自分も頑張れた。直接なにか連絡も取ってないし、関係も薄くなったといえばそうだと思う。それでも、救われていたのは確かだ。
もう二度と言う機会がないから、せめてここで言わせて欲しい。
ありがとう。お前に何度も助けられた。
七月、書き始め
日記は昔から続かなかった。
頭の中で考えていることはいろいろあったが、それを文章にする言語力と考えたことを書くまで保持する記憶がなかったので、書くこと自体が好きではなかった。
数年前、友人から師走の終わり際に一冊の本を渡された。
それは目次も題名も後書きも無く、ただ日付と曜日だけが各頁の頭にあるだけの本だった。これを書き続けて来年返して欲しい、と。
返せたのはそれから三年後だった。
ずいぶん遅くなって申し訳ないなとは思う。途中から日記というより雑記帳になってしまい、書かないページも多く作ってしまったが、書くことが好きになった。
もう自分の手から離れてしまって書くこともないと思ったが、やる気だけはみなぎってきたのか、こうしてネットの海に公開雑記帳として始めた。
書くことは全然決まってないけど、気ままに続けていければ、と思う。